スクリブル(なぐりがき) 1歳半〜2歳ころ 

 目がさめると、あなたは地球ではない別の星にいる。自分の体も・・・例えば、タコのように手足が何本もある生き物になっていたとする。そんな時どうするでしょう? 
まず、二つのことが考えられます。 
1. 体を動かして、自分自身の機能を知ろうとする。 
2. 自分のいる世界(見たもの触れたもの)を知ろうとする。 
あかちゃんが、はじめて画材を持った時の動きをよく見ていると、「絵を描く」というよりもそのような行為をしているのではないかと観察されます。まだ「何かを描く」という意志はなく、手や腕を動かすことで自分の体の動きを確かめたり画材を試すことで出来る「紙の上の軌跡」が『スクリブル』(なぐりがき)になっていると考えられます。
 
 生まれてはじめて何かをするということはとても新鮮な感覚です。それは大人になっても同じですね。赤ちゃんは、毎日がその連続です。さぞ、エキサイティングな日々でしょう。そう考えると、この時期のスクリブルは成長に繋がる貴重な体験だといえます。本人がやりたいだけ、描かせてあげることが大切です。描くうちに、新しい「気づき」を見出し、次の段階に進んでいきます。
 初期のスクリブルと、慣れてきた時期のスクリブル・・・つまり、意志的に手の動きをコントロールできるようになったころのスクリブルには大きな違いがあります。発達が痕跡として、きちんとスクリブルに表れてきます。その発達について詳しく知りたい方は、下の動画をご覧ください。

 指導は必要ありません。あるとすれば存分にスクリブルができる環境を作ってあげることです。決まった時間におけいこごととしてやるというよりは興味を示した時、やりたい時に、好きなようにやらせてあげることが望ましいでしょう。

安全な環境を準備してあげることが必要です。
・口に入れても安全な画材。
・ふりまわしても、けがをしない画材。
・よごしても大丈夫な服。
・安全な環境。
・よごしても大丈夫な環境

頭足人(とうそくじん)2歳半〜4歳ころ 

 頭足人とは、「丸(円)から手足が出ている人の絵」のことを言います。
これは人が最初に描く「人」の絵であり、世界中の子どもたちが共通に描いてる特徴的な「人の捉え方」です。
最初の段階は、ただの丸を「ママ!」「パパ!」とか言ったりしています。それから、丸に手足にあたるの4本の線を引くことを覚えて、頭足人が完成していきます。
顔の表現も、初期の段階ではてんてんと目を描き、無造作に口の線を引き、それを見立てて「笑ってる」「恐い顔」「おもしろい顔」などと楽しんでいますが、だんだん線の引き方で笑顔や悲しい顔、怒った顔などの表情が表れることを覚えて、意志的に描き分けられるようになります。
 発達が進むと髪の毛を描き、リボンを描き、手の5本指を描き、服装や靴が描かれているような高度な頭足人もいます。
私が観察してきた中には、頭足人を描かないで最初から身体(私たちが見ている一般的な人間の絵)を描く子も多くいます。実際にはその子たちが頭足人を一度も描かなかったかは正確にはわかりませんが、そういう子の多くは、お兄ちゃんや姉ちゃんがいたり、早熟な子だったりすることが多かったようです。
ひとりひとり、表現の仕方は違いますが、一通り描けるようになると自分の得意な描き方のパターンが決まり定着します

 頭足人については指導する必要はありません。
むしろ、楽しんでたくさん描けるような環境をつくってあげることが望ましいでしょう。
親しい人を描くことを楽しんだり、興味をもっていろいろな人を描いていったりする中で、
人やこの世界について観察し、考えるような機会がイメージを広げ創造力を育みます。
視点を変えれば、人を描くということは、その子がどういうふうに人間をとらえているか、
他者との関係をどう感じているかが表現されるということでもあるのです。
そのため、先生や(指導者)は、人が描けるようなテーマ(画題)を与えたりすることも大切です。

 描きはじめの頃は、描いている子もその絵を見る保護者も楽しい気持ちになるのですが、年齢が高くなっても頭足人を描き続けていると(6歳ころまで描いている子もいました)描いている子は楽しそうでも、保護者が心配になられて先生指導者)に相談されることがあります。そんな場合は、私は「子どもさんが描くことを楽しんでいるので、心ゆくまで楽しませてあげたほうがいいと思います。今、人(身体)の描き方を教えこむよりも自分で気がついて描けるようになるほうが望ましいと思うので、他の子の絵なども観察するような機会を多くつくり、本人の気づきを待ちましょう。」という意味の内容を伝えています。
人を描くということは、その子がどういうふうに人間をとらえているか、他人との関係をどう感じているのかが表現されるため、そこに無理やり介入しないほうが望ましいと私は考ます。

「命名」(めいめい)とは、名前をつけること。そして命名期とは、絵に描いた形や線のひとつひとつに名前をつける傾向がある時期という意味です。
みなさんは子どもたちが、独り言をつぶやいたり、ブーブーというような擬音をだしたりしながら、丸や三角のような単純な図形を組み合わせたような形を描いている様子を見たことはありませんか。その時、描いている子どもに描いた形を指さして「何を描いているの?」とたずねると、おそらく子どもは、「ママ」とか「パパ」「車」「犬」というように、即座に名前をつけて説明してくれます。ただそれは、即興で思いついているのか後日聞いても覚えていないことが多いようです。こういう時期のことを「命名期」と名付けられています。
 この時期は急速に、言葉を覚え、話すことができるようになっていく時期です。そのため、絵に描いた単純な形でも何かに見立てて説明(命名)し、そのことから連想するストーリーをつくり積極的に話すことが多いようです。その言葉の連想や既成概念に捉われていないストーリーを聞いていると、思考が柔軟で創造力が豊かな時期だと感じます。

 絵を描いている最中のおしゃべりやつぶやきに対して、静かに絵を描くように指導する必要はありません。むしろ、絵に関するポジティブなコミュニケーションをとり、空想をより飛躍させるほうが望ましいでしょう。たとえば、子どもが窓のない車を描いていたとしても「この車。窓ががないよ。」というように描いていない部分を指摘して描がかせるよりも、「誰が運転しているの?」とか「車の色はどんな色?」といった、やる気を引き出すような言葉かけをし、子ども自身がイメージを広げ工夫するような指導が大切です。

 子どもたちが、先生(指導者)にいろいろなストーリーを話して描いていたとしても、後日、保護者や他の人たちが絵を見て何を描いているかわからなくなります。
上の絵は、幼稚園の先生が絵の内容が伝わるように文字を書き込んでくださっていた息子の絵です。何が描かれているのかわからない絵は処分しましたが、当時の子どもの状況が伝わってくる絵は思い出として保存しています。先生がクラス全員の絵に、保護者にわかるように文字を入れることはとても大変なことだったと思います。それも思い、絵を見るたびに先生に感謝しています。これは、子ども=保護者=先生(指導者)を表現によってつなぐ一つの指導方法だと思います。

この時期は、子どもが見聞きした家族のことやライベートなことまで、見聞きしたことを自分からどんどん話はじめる傾向がありますが、その全て正しいと思わないようにしてください。現実と空想がごっちゃになっている時期です。
 同時に、子どもは家庭で先生(指導者)のこともよく話します。子どもは・・・大人もですが、自分の都合のいいように物事を解釈する傾向があります。そのため、保護者との間に誤解が生まれやすい時期でもあります。先生(指導者)として、自分が話す内容が子どもたちにどのように伝わっているのか。また、保護者に自分の考えや指導の様子が正確に伝わっているのかといったこともできる範囲で把握しておく必要があります。
 もし、誤解が生じているように感じた時は、めんどくさがったり臆したりすることなく、保護者と連絡をとり、丁寧に子どもの様子と自分が行なっている指導の内容を伝えることが信頼を失わないことにつながります。

 「象徴」(しょうちょう)ってなんだかわかりにくいですね。「シンボル」で考えてみましょう。
「心を絵に表してください。」と言われた時、多くの人は「ハートマーク」を描くと思います。ほんとうの「心」を絵で描くのは難しいですね。だからみんなが共通で認識できる「マーク(記号)」にして表現しているのです。その「マーク」は「言葉」と同じ意味をもちます。そのようなマークをシンボルと言います。日本語にすると「象徴」(しょうちょう)です。
 別の側面から説明すれば、「りんごのマーク」を描くと世界中のほとんどの人は「りんご」だとわかります。ただ、世界中にある現実のりんごは、大きさも色も形も味も違います。そんな無数のりんごをシンボル化して「りんごのマーク」一つで表現しているのです。判子(ハンコ)のようなものだと考えてもいいかもしれません。
この時期の子どもは、そのようなマーク=シンボル(象徴)をたくさん絵の中に描きます。
 初期段階で、子どもたちが描くのは「おひさま」です。絵の右上か左上にマークのように描かれますね。その後、ハート、星、お花・・・チューリップ、家、うさぎ、小鳥、蝶・・・というようにいろいろものを簡略化した形で描くことを覚えていきます。
 このようにマーク=シンボル(象徴)を使えるということは、「概念」が理解できるということであり、自分が生きているこの世界がどのように構成されているのかを理解し始めていて、それを言葉や絵で表そうとしているということだと考えられます。

 2〜3歳ころは、「星を描いて!」とか「きれいなハートを描いて!」と頼まれることがあります。そんな時、わたしは見本になるように描いてあげています。これらは記号のようなものですから、個人の感性や創造性といったことではなく、お手本を見てその子が満足できるように描けるようになればいいと考えているからです。たくさんのシンボルが描けるようになることは、たくさんの言葉を覚えることと同じだと言えるでしょう。
 5〜6歳ころになると、ハートや星、花(チューリップ等)といった図形をたくさん描けるようになり、絵を構成できるようになった子どもたちの絵は、だんだんパターン化する傾向があります。言い換えれば、マンネリ化です。そうなると絵を描くこと自体に飽きてしまい、集中力が失われていきます。そろそろ新しい発達段階へ向かう時期です。その時期に先生(指導者)は、子どもたちが新鮮に感じるようなテーマ(画題)今までとは別の視点から取り組むことができる製作の工夫をしていくことが必要です。
 この時期の子どもたちは、ものの形や色を具象的に観察して表現するのではなく頭の中にイメージしたものを直感的に表現しているように見えます。色に関しても、固有色にこだわらず自分が好きな色ばかりを塗る子どももいます。大人の視点とは大きく違いますが、発達の過程として面白さを見出し、子ども自身が楽しんで描くことができる環境づくりをしてあげましょう。

 こどもたちがみんなそっくり構図の絵を描いているクラスを見かけることがあります。それは、おそらく先生が、誰かの絵をほめてそれを見て周りの子どもが真似をして描く、その繰り返しでクラス全員が先生(指導者)が考える「いい絵」に近づいていくということが起こっていると思われます。この頃の子どもたちは、他者とちがう独自の自己表現をしようとは考えず、いいと感じればそのまま自分に取り入れます。そのために全員が同じような価値観に染まっていくということが起こります。これには、良い側面と悪い側面があります。良い面は、先生(指導者)の考えが伝わって、構図や画面作りがしっかりとした絵作りができるようになること。悪い面は、子どもたちが先生や親に褒めらることを考えて先生に描き方や色の選び方を聞くようになり、自分で考えて描くことができなくなっていくことです。そのため、先生(指導者)は、自分の言葉かけがどのような影響があるのかをしっかりと観察しながら、子ども自身の創造性を育むような言葉かけをすることが大切です。

この時期(年齢6歳)になると言葉が使え、語彙も増え、身の回りの環境や人間関係を理解できるようになっています。実体験だけでなく、テレビやネット、絵本、紙芝居といったメディアからもたくさんの情報を得てイメージも豊かになってきます。そのため、描く世界もだんだん複雑になっていきます。

1.さんそをたくさんをだす木
2.にんげんがそらをとぶ
3.たっきゅうだい
4.さんそをつくる機械
5.このギザギザのところでわれて宇宙へとぶ
6.アンモナイトを育てる
7.キノコを育てる
8.ねんどを作るそうち
9.ちかのお座敷
10.プール
11.すべりだいやブランコ
12.おんしつにして植物をそだてる
13.いんせきをはねかえす鉄の板
14.そらをとぶ車

 この男の子(6歳)は、「すべりだいやブランコ」「ねんどを作るそうち」「きのこを育てる」「おんしつにして植物をそだてる」といった自分の趣向や楽しみが豊かに描いています。また、お母さんの趣味の「たっきゅうだい」の部屋や地下に「お座敷」といった家族の部屋もあります。「アンモナイト」や「さんそを出す木」や「いんせきをはねかえす鉄の板」といった描写から、地球のなりたちに興味があり、隕石が衝突して生物が絶滅しかけた歴史も学んでいて、未来に対して期待と同時に不安や危機感も抱いていることがわかります。
 この絵には、6歳の子どもが好奇心を持って活き活きとこの世界を感じて、考えて、体験し、日々を生きている様子が表現されています。

★「レントゲン画」と「基底線
 また、図式期の子どもたちの絵に共通して表れる特徴もあります。建物を描いてその中の様子まで描いている図を美術用語で、「レントゲン画」と言い、紙の下側に線を描き地面にし、上側にひいて空にしている図を「基底線」と言います。
この特徴から、目の見えている現実を観察して描くことよりも、頭の中で描いたイメージや観念(図式)を使って描くということがわかります。このような描写を見るとても知的な作業を行なっていると感じます。